アメリカの小学生が学ぶアメリカの歴史-西部開拓時代

世界の歴史

アメリカの歴史をアメリカ目線で見るために、アメリカの小学生が学んでいる歴史を参考に解説します。
今回は、西部開拓時代です。今回も、以前の記事である「独立戦争と新国家時代」及び「南北戦争と南部再建時代」と時期が重なりますので、そちらも併せてごらんください。

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西部開拓時代

ゴールドラッシュ

Picture:「川で砂金を取る様子」See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons

1799年にノースカロライナでリード金鉱が見つかって以降、アメリカではこの時期各地でゴールドラッシュが発生します。

その中でも1848年、ジェームス・W・マーシャルがカリフォルニアの川のそばで、水車を回す水の中から小さな金を見つけると、このニュースは瞬く間に広がり、カリフォルニアを目指してやってくる人が一気に増えました。

1849年にはとても多くの人たちがカリフォルニアを目指したため、彼らは「フォーティナイナーズ(49ers)」と呼ばれます。

ゴールドラッシュによって、多くの人が移動するようになると、人と物を運ぶのにより良い移動手段が必要になってきます。当時はまだ、何週間もかけて馬車で移動するか、大陸をぐるっと回る船旅が必要でしたので、人の往来も物資の輸送も大変だったのです。

大陸横断鉄道

Picture:「プロモントリーサミットでの開通記念式典」Andrew J. Russell, Public domain, via Wikimedia Commons

当時の鉄道網は、アメリカ大陸のほぼ中央のネブラスカ州オマハまで到達していましたが、それより西への延伸が求められていました。

アメリカの鉄道は民間会社だったので、広大な西部に自力で土地を確保して線路を引くのは財政的に困難でした。

そこで、連邦議会は1862年(リンカーン大統領時代)、国債の発行と鉄道会社への土地の付与を承認することにより、米国における「大陸横断鉄道」 (太平洋鉄道)の建設を促進する一連の法律を成立させ、鉄道建設が開始されます。

この法律を受けて、鉄道会社が2社設立され、カリフォルニア側からとネブラスカ側からそれぞれの鉄道会社が線路を引き始め、1869年5月10日、ユタ州(当時は準州)プロモントリーサミットで、両方の線路が繋がりました。

この後も複数の鉄道会社が西部へ路線を拡大し、西部への移動が格段に速く行えるようになります。

大平原のインディアン

Picture:Richard Throssel, Public domain, via Wikimedia Commons

元々アメリカ大陸にはネイティブ・アメリカン(欧州人がインディアンと呼んだ)がいくつもの部族を形成していました。

彼らは約2万5000年ほど前に、シベリア経由でアメリカ大陸に渡ってきた人類の子孫です。
17世紀以前、彼らは槍と弓でバッファローを食用に狩り、皮で作ったテントで生活していました。

アメリカ大陸に欧州人が入植してくると、次第に土地や資源を武力で奪われ、インディアンは次第に西へ西へと追われてしまいます。

議会は1830年に制定した「インディアン強制移住法」ミシシッピ川以西を保留地とすることで、インディアンを強制移住させ西部に追いやります。移動の途中では病気や事故で犠牲者が多く出て、移住後もインディアンの抗議は続きます。

当時の西部は不毛な土地と思われていたので、インディアンを西部に追いやってしまえばいいと考えられていましたし、インディアン側もこれ以上土地を奪われないようにするという理屈でした。

しかし、その後のゴールドラッシュや大陸横断鉄道建設など、決して不毛な土地ではなかったことに気づいたアメリカ人は、保留地の考え方をひっくり返して、再び土地を奪うようになります。

インディアン戦争

Picture:Henry August Schwabe, Public domain, via Wikimedia Commons

多くのインディアンは、居留地に追いやられ、その居留地を奪われるということを繰り返すアメリカ人の横暴にも耐えていました。武力で劣るインディアンたちは対抗できなかったというのが正確でしょう。

しかし、いくつかの部族は、土地と生活を守るために立ち上がります。
ミネソタではスー族が暴動を起こします。(ダコタ戦争
コロラドではシャイアン族やアラパホ族が軍や入植者と戦いました。(コロラド戦争

1875年には、スー族の居留地にあるブラックヒルズで金が発見されます。ここはスー族の聖地であったため、たとえ金の採掘のためであったとしても、その土地にアメリカ人が入ってくることをスー族は拒み、戦争になります。(ブラックヒルズ戦争/グレート・スー戦争
この戦いでは、インディアン側も複数の部族と大軍を組んで合衆国軍と戦い、両軍とも大きな損失を出しました。

インディアンの虐殺と同化政策

インディアンとは文化も慣習も異なることから、多くの相互不理解が起こり、度々争いが起こります。

こうした状況下では、インディアンを滅ぼすべきと考える人とインディアンを同化させてアメリカ文化に取り込もうとする人がいました。

残念なことに、インディアンの文化を尊重し、共存しようという考え方はあまりなかったようです。いずれのやり方もインディアンにとってみると、受け入れがたいことに違いはなかったようです。

南北戦争以降のアメリカ

(左):トーマス・エジソン:Louis Bachrach, Bachrach Studios, restored by Michel Vuijlsteke, Public domain, via Wikimedia Commons
(右):アレクサンダー・グラハム・ベル:Moffett Studio, Public domain, via Wikimedia Commons

発明の時代

1860年から1900年はアメリカの発明ラッシュの時期でもありました。

この時期に50万件以上の特許が生まれ、その中でも特に有名なのは、トーマス・エジソングラハム・ベルでしょう。

エジソンの3大発明である、白熱電球・蓄音機・映画は、現代の社会でも活用されている偉大な技術です。(電球はジョゼフ・スワンがカーボン電球を先に発明したが、エジソンが白熱電球を開発して実用化された)

グラハム・ベルは電話を発明(1876年)したことで有名です。

これらの発明はアメリカの産業を大きく発展させ、巨大企業(の卵)がこの時代に多く誕生します。

エジソンが設立したエジソン・ゼネラル・エレクトリック社は、現在のゼネラル・エレクトリック社(GE)で世界有数の巨大企業ですし、ベルが設立したベル電話会社は、現在のAT&T社です。

【主なアメリカでの発明】
1870年:チューインガム:トーマス・アダムス
1870年:ティッカーテープ:トーマス・エジソン
1873年:ジーンズ:リーヴァイ・ストラウス
1873年:鉄道用自動連結器:イーライ・ジャニー
1876年:スピーカー:グラハム・ベル
1876年:電話:グラハム・ベル
1877年:誘導電動機:ニコラ・テスラ
1877年:蓄音機:トーマス・エジソン
1877年:マイクロフォン:エミール・ベルリナー
1879年:ペルトン水車:レスター・アラン・ペルトン
1879年:キャッシュレジスター:ジェームズ・リッティ
1880年:フォトフォン:アレクサンダー・ベル
1881年:ロールフィルム:ジョージ・イーストマン
1881年:金属探知機:グラハム・ベル
1883年:2相誘導電動機:ニコラ・テスラ
1884年:パンチカード:ハーマン・ホレリス
1886年:食器洗い機:ジョセフィン・コクラン
1888年:ロールフィルム式カメラ:ジョージ・イーストマン
1890年:線ファスナー:ウィットコム・L・ジャドソン
1891年:テスラコイル:ニコラ・テスラ
1891年:キネトスコープ:トーマス・エジソン

「発明の歴史」ウィキペディアより抜粋

工業化と資本主義の発展

Photo:「New-York-Fifth-Avenue」See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons

1800年代の終盤には、アメリカは工業化が進み、それまで農場で働いていた人たちは次第に工場で働くようになっていきます。この時期は、アメリカだけでなく、ヨーロッパでも多くの技術が発明され、産業革命が起こった時期でもありました。

前述したとおり、この時期は発明ラッシュの時期で、多くの技術が新しい産業を生み、資本家はそれらの産業に投資するようになります。

カーネギーは当時鉄鋼業を所有していて、この分野での競争を有利にするため、鉱山や鉄道会社などを次々手に入れて、圧倒的な独占企業を作り上げていきます。

そのほかの業界でも、ロックフェラーが石油を支配し、モーガンは銀行を独占するようになりました。

産業が発達すると国は豊かになっていきましたが、同時に「資本家」と「労働者」の二極化が進みます。投資家は自分の事業がもっと儲かるように、関連企業を買収するなどその富を拡大していく一方、労働者は低賃金で長時間働かなくてはならない状況でした。

セオドア・ローズベルトと反トラスト法

独占企業が誕生すると他の企業が競争で負けてしまったり新規参入ができなくなり、健全な自由市場形成が阻害されてしまいます。独占企業は価格を決める自由度(価格決定権)があるため意図的に価格を吊り上げたり、取引企業などに対して有利な契約を強要する力などを持っているからです。

一部の企業だけが富を独占し市場を支配することを防ぐために、1890年に「シャーマン法」が作られました。これは特定の企業等が市場を独占しようとする行為を禁じるための法律です。

第26代大統領のセオドア・ローズベルトは、この反トラスト法を使って巨大な独占企業をいくつも解体します。公正な市場を維持するための監督権限を連邦政府に持たせたのです。

反トラスト法

トラストとは、市場を独占するために関連する企業が合併したり株の持ち合いをするなどして集まった企業集団やその経営形態のこと。これを防止するのが反トラスト法と言われる法律。
「反トラスト法」というのは単一の法律を指すものではなく、複数の異なる法律を総称するものである。[1]その中でも中心になるのが、1890年のシャーマン法、1914年のクレイトン法、同年の連邦取引委員会法の三つの法律である。[2]
[1][2]「反トラスト法」ウィキペディアから引用

セオドア・ローズベルト

政治家、軍人(1858年-1919年)
第26代アメリカ合衆国大統領
第25代副大統領
ニューヨーク州知事
ニューディール政策が有名
日露戦争を調停しポーツマス条約交渉に尽力
Photo:Pach Bros., Public domain, via Wikimedia Commons

まとめ

今回の記事は主に1800年代の歴史です。この時期は南北戦争などもあり、アメリカの歴史の重要な時期の一つです。

この時期のアメリカは、国内をまとめ、国土を拡大し、産業を育てるなど、後の超大国となるための基礎を築いた時期と言えます。

もはやイギリスから独立した植民地ではなく、名実ともに力強い国家と言えるようになってきました。

この後迎える20世紀には二度の大戦を経て、私たちが知っている大国アメリカが誕生します。

参考文献

James M.Vardaman,Jr、村田薫(編).「アメリカの小学生が学ぶ歴史教科書」.ジャパンブック,2005
James West Davidson(著)、上杉隼人、下田明子(訳).「若い読者のためのアメリカ史」.すばる舎,2018
富田虎男、鵜月裕典、佐藤円(編著).「アメリカの歴史を知るための65章【第4版】」.明石書店,2022

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